5.新町宿、倉賀野宿、高崎宿

今回は新町宿、倉賀野宿、高崎宿を散歩しました。

まず、新町宿近くの群馬県と埼玉県の県境にある神流川古戦場跡へ
この地で行われた神流川合戦は、上野厩橋城主滝川一益と武蔵鉢形(現在の寄居町)城主北条氏邦・小田原城主北条氏直との戦いです。この合戦は、関東地方で最も大きな戦いと言われているようです。
この付近で合戦が行われたのでしょうか。写真は、殆ど流れがない神流川です。
神流川の合戦のとき、滝川一益は、現在の玉村町の軍配山古墳に本陣を張って軍配をふるったとされています。写真は、その軍配山古墳です。
中山道と例幣使街道の分岐に設けられた倉賀野宿の常夜燈
例幣使街道は、江戸時代、毎年朝廷から日光東照宮に派遣されていた使いである日光例幣使が通る街道です。この例幣使街道は、倉賀野宿で中山道から玉村宿へ分岐し、下野まで続きます。
倉賀野宿の脇本陣跡
高崎宿の長松寺
ここ長松寺の客間は、高崎城から移築されたものであり、江戸幕府三代将軍徳川家光の弟、徳川忠長(国松)が切腹した部屋と伝えられています。しかし、高崎大信寺で自刃したとの説もあり、定かではありません。兄家光との幼少期の将軍継承争いが、忠長の自刃につながってしまったのかもしれませんね。
また、長松寺には、狩野派の絵師「狩野探雲」による天井絵があります。
高崎宿と板鼻宿の間に上野国一社八幡宮(通称、八幡八幡宮)があります。
写真は、参道の階段です。
また、八幡宮の隣には、東京文京区大塚にある音羽護国寺の前身である大聖護国寺があります。五代将軍綱吉は、ここ大聖護国寺の住職に、高田御薬園の地(現在の大塚)を与え、音羽護国寺を開かせたようです。
これで、新町宿、倉賀野宿、高崎宿の散歩を終わります。