まず、信濃追分駅から中山道へ
信濃追分駅から少し上った中山道の標高は1003メートルあり、気温は13℃と少し涼しい陽気でした。
中山道の追分の一里塚
日本橋から数えて四十番目の一里塚です。
旧中山道の追分宿にある浅間神社
追分宿は、江戸から数えて二十番目の宿場であり、今も往時の面影が残っています。
浅間神社には芭蕉の句碑がありました。
「ふきとばす石も浅間の野分かな」(松尾芭蕉)
また、追分宿には、小説「風立ちぬ」を書いた堀辰雄の記念館があります。
堀辰雄は親交があった室生犀星とともに夏は軽井沢を訪れ、また晩年は追分に住んでいました。小説「風立ちぬ」は追分の油屋旅館や軽井沢の川端康成の別荘で書き上げたそうですね。写真の右側の建物が旧堀辰雄邸です。
多くの大名や文豪が常宿とした油屋旅館の面影
堀辰雄邸は油屋旅館の隣にあったようです。
復元された追分宿の高札場
現在の追分は、きれいに整備され観光地化しています。
追分宿は、沓掛宿(現在の中軽井沢)、軽井沢宿とともに浅間根越の三宿を形成していました。
堀辰雄が愛した石仏
堀辰雄の小説に登場するようですね。
追分宿の西口にあった茶屋つがる屋